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小田原城 新普請(あらぶしん)

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■Freak’sシンポジウム
~哲学者・内山節と考える「小田原城 〝新普請〟」
in おだわらハルネ
おかげさまで無事に終えることができました。
会場も空きのない盛況でした。
バトルトークと銘打ちましたが、小田原城の木造による再建を夢見る人々ばかりなので侃々諤々のバトルにはなりませんでしたが盛り上がりました。
市民の後押しの必要性や建築基準法の壁などの課題も浮き上がり、
「第2弾をやろう!」ということで一致しました。
共催してくれたFMおだわらさん、
パネラーの皆さん、
参加者の皆さん、
ありがとうございました。

<内山節講演会・要旨>

▽ 掛川城は、お金持ちが十数億円の浄財を寄付。市民が続き20億円となったことで戦後初の木造の城ができた。掛川は尊徳思想の流れを汲む報徳社の拠点であり、みんなのためにお金を使い、みんなで使おうという精神風土のある場所。尊徳といえば小田原。精神的風土はここにもある。

▽ お城の再建は文化財上は新築になる。再建という言葉は普通、詳細なデータがある場合に使う。奈良の薬師寺は伽藍はなく、寄付により再建したが文化財上は新築となる。大体こういうものということで人々が結集し、造っていくのは「復興」と言っていい。

▽ 掛川城の苦労は何百年ももつものを造りたいという点にあった。そこまできちんとしたものを造るためには特殊な木が必要であり、結果として青森ヒバを使っている。地元の木で造ればいいのだが、何百年ももつ城を造るとなると、技術はいいとして、木をどう確保するかという問題になる。薬師寺は全て台湾ヒノキ。台湾ヒノキは屋久杉に近い。ヤニが強く腐りにくい、良い木だ。植民地時代に日本が国有林を設定して育てた。今は厳重に管理されている。

▽ 木造建築は木の強さも重要だが、技術面の継承能力も重要だ。

▽ 欧州ではCLTによる木造のビルが建っている。オーストリアでは11階建ての木造ビルが建っている。2、3年後には日本でも何とかなるのではないか。特殊合板なので糊の耐用年数が問題となるが100年ぐらいは大丈夫でしょう、という感じ。鉄筋でも100年もたせようとしたら厳しいし、その耐用年数はCLTでもたせられる。九州を車で走っていると、木造のパチンコ屋が目立つ。見た目にちょっときれいで、それを宣伝に使っている。そういう時代にきている。建築基準法が時代に合っていないことは確か。木造ができない時代ではない。

▽ 城だけを木造にすればいいというわけではなく、やろうという機運の高まり、行政も壁を取り払おうという努力が必要で、それも市民の後押しがあればこそ。もうひとつ、小田原周辺の木が使えるか。どう森を維持していくかの問題。そういう木をどう使っていくのか、市民が使える気に育てていくのか。それは小田原の人々が考えていくことだろう。

▽ 文化財の補修用の木をどうするかということに取り組んでいる団体があり、100年生以上の木を持っている林業家を登録している。確か70~80団体あり、小田原の林家もあった。そういう林家の協力も得ながら地元で賄う森を確保していくのも面白い。

▽ 木の文化、森の文化は地域ごとに違う。上野村は人口1350人だが木で発電が可能。村の電力を賄える。森を使っていこうという村であり、村に労働の場所をつくっている。小田原には違うやり方がでてくるべきだと思う。

▽ 建築というのは、地域の使いやすい材を使うのが基本。木の柱を立てるのは、そこに木があるから。ササを束ねれば屋根材にもなる。それが建築の出発点。石が多ければ石を使う。つまり使いやすいものを使うのが基本。権力者が出てくると、遠隔地から運んでくるようになる。今的に言うと、大市民運動があり、大きな建物ができるケースが多い。みんなの力の結集によって世の中が変わり、権力を失うことも起こってくる。現代の建築は鉄筋コンクリートとガラスが使いやすかったと言える。しかし造ってみたら案外耐用年数が短かった。そこで建築とは何かを問い直す時代になった。地域に合った建築のための技術の維持、不足したものの復興、森の手入れなどの問題が絡んでくる。

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